まいねる見聞録

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レン・シャクルトン 忘れ去られた過去の名選手

サッカーは長い歴史を持ち、選手達の移り変わりも早く、5年も経てばスカッドの陣容が様変わりしているなんてことも当たり前の光景である。そこで、今回からはそんな長い歴史の中に埋もれてもはや忘れ去られてしまったであろう過去の名選手達を掘り出してここに紹介していきたい。まず第1弾は戦中戦後にかけてサッカー界最初のエンターテイナーと呼ばれたレン・シャクルトンをご紹介

 

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レン シャクルトン

イングランドサッカー最初のエンターテイナー

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1922年5月3日生、2000年11月27日没

 

彼のプレースタイルはまさしく優雅で、卓越したテクニックで相手選手をいなし、数々のチャンスを作り、また自分でも多くの得点を決め、40年代から50年代にかけて主にサンダーランドで活躍した。ポジションはインサイドとアウトサイドのフォワード(現在のところのセカンドトップやトップ下に近い?)で、その卓越した技術とプレーぶりからイングランドサッカー最初のエンターテイナーだと評されている。
とはいえ彼の知名度は実はそんなに高くはない。というのも彼はイングランド代表としては5試合にしか出場しておらず、その実力と評価に反して彼は北東のローカルプレーヤーの域を脱することはできなかったのだ。さらに彼が長きに渡り所属したサンダーランドは今も当時も強豪とは遠い地位のクラブで、1949-50シーズンにリーグ戦3位になったのが最高(しかも優勝したポーツマスとの勝ち点は1差)、FAカップもベスト4が最高成績と、いずれのチームタイトルにも恵まれることがなかったことも彼の知名度の低さの原因なのかもしれない。また、今と違い移籍が活発ではなく有力選手が1箇所に集まりにくい当時では評判に反して代表チームのポストにはなぜか縁がないという選手は往々にしていたという。シャクルトンもまたそうした選手の1人だったのだろう。

 

シャクルトンへの同時代の評価
ひとたび彼がボールを持つと、彼にテクニックで勝てる選手はいなかった。ボールはシャクルトンの奴隷となり、ドリブル、フェイント、パス、シュート、全てのスキルは彼の思うがままだったんだ。

 

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↑ドリブルで運ぶシャクルトン

 

 

経歴詳細
1940年に2部のブラッドフォードパークアベニューでデビューしたが戦時中に伴いプロリーグでの活躍機会は終戦後まで奪われてしまう。戦時期間中の非公式リーグでは201試合179得点の活躍を見せた。戦後再開されたプロリーグで7試合4得点の活躍を見せるが彼のプレースタイルを自己中心的であるとして評価しないファンが多く、これに辟易したシャクルトンは1946年10月にニューカッスルへ移籍した。リヴァプールへ去ったスタビンスの代わりと期待されたシャクルトンは期待された結果を残してはいたが1シーズン半という短い期間で退団してしまう。クラブ首脳陣と対立したことが原因だという。移籍先は皮肉にもニューカッスル最大のライバル、サンダーランドだった。移籍金は当時の最高額となる2万50ポンドだった。以後10シーズンほどに渡って活躍を続けるが上記の通りタイトルには恵まれず、イングランド代表でのキャリアも僅かなものになってしまった。
その一方でサンダーランド在籍中にはクリケット選手としてもプレーしており、サッカーだけでなくクリケットでの才能も高く評価されている。
引退後はスポーツジャーナリストに転身した。


シャクルトン現役時代の映像
https://youtu.be/saQlKffpqBk
https://youtu.be/qthsH5uwZIg

 

主な参考資料

英語版wiki